那須信吾重民の墓

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(1829〜1863)
佐川の土佐藩士・浜田宅左衛門の次男で那須俊平の養子となる。身長六尺(182cm)力強く健脚で25里(約100km)の高知城下へ1日で行ったといわれている。文久2年(1862)4月8日、同志とともに参政・吉田東洋を倒して脱藩、石原幾之進の変名で国事に尽くす。文久3年(1863)8月、同志吉村虎太郎らとともに中山忠光卿を奉じ、南部行幸の先駆となるため兵を挙げた。五条で鈴木源内を斬り高取藩の使者となって藩主・植村駿河守に食糧、兵器の供出を求めた。時に京都に政変があり行幸は中止となり幕軍の追討ちにあい9月24日、大和の国吉野鷲家口で敵の重囲にあい決死奮戦彦根の大将大館孫右衛門を倒したが狙撃せられ戦死する。時、文久3年(1863)9月24日 年34才

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