一條教房の墓

四万十川

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四万十市丸の内

前関白一條教房、送り名を妙華寺殿(みょうげじどの)といいます。父は摂政、関白、太政大臣を歴任した一條兼良、母は中納言藤原宣俊の娘。応仁の乱(1467年〜)を逃れ、家領幡多ノ庄の回復を目指して翌年京都から中村へ下向しました。文明12(1480)年10月5日58歳にて没。在13年間の内に荘園の復活、土佐一條家の創始や、中村を土佐の中心的商都として建設した功績は大きいものでした。教房の菩提寺である妙華寺は、ほぼ現在の中村高校西門附近にあったと推測されます。
(看板引用)

一條教房の墓

 
 
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